ホームインドバラナシ

バラナシ flag

1998/9/16(水) →バラナシ

 朝4:30夜行列車がバラナシ駅へ着いた。オートリキシャで市内へ向かい3軒ほど宿を当たるが、ロケーションなどがイマイチ。結局自分の足で市内中心ゴードリア付近にあるHotel Gangesへチェックインした。飛行機なら45分の道のりをバスと列車を乗り継ぐと半日あまり。ベッドの上に寝転んでいたら、いつの間にか眠ってしまった。

迷路のような道と牛
ガンジス川

 昼前に目を覚ます。帰国日を考えれば、これ以上新しい街へ行くのはあきらめた方がよさそうだ。ブッダガヤに少し興味があったのだが。デリーへ戻るフライトを予約後、ガンジスを目指した。急に視界が開けると同時に、大きなガンジス川(写真)が目の前に広がる。昼間だったが沐浴しているインド人がたくさんいた。
 迷路のようなバラナシの道(写真)を散策し、多くのガートとそこから眺めるガンジスを満喫する。火葬場となっているガートにも行った。ガートで涼んでいると眼前では様々な光景が繰り広げられる。人に突進したヤギをガンジス川に放り投げるインド人、土を投げ合って遊ぶ子供達、様々な物売り…。ガートは聖者のためだけにある訳ではなさそうだ。途中出会った日本人旅行者と一緒に焼きそばの夕食をとった。夜道には乞食や訳の分からないインド人が一杯だ。ホテルに戻って洗濯し、絵葉書を書いた。何回も停電があった。

1998/9/17(木) バラナシ

ガンジス川の日の出
沐浴する人々

 朝4:30にガンジス川へ日の出(写真)を見に行く。素晴らしい。物売りはうるさかったが…。またまた深夜特急に出ていたモケにも会ったが、何だか疲れているようだったので、あまり話さなかった。迷路のような道を歩き、ガートに出て、ガンジス川とそこで沐浴している人々(写真)を見るのが何より楽しい。まさに「聖地バラナシ」だ。一端宿に戻り、少し眠った。

 チキンカレーとバナナラッスィーの昼食後、サールナートへ。カジュラホのゴータマ氏にすすめられた地だ。バラナシ駅までは歩き、そこからバスに乗って行ったので格安だった。バラナシがヒンズー教の聖地であるのに対し、サールナートは仏教の聖地。ブッダが初めて教えを説いた地らしい。博物館を見学しているとすごい雨が降ってきた。1時間後小降りになったのを見計らい、遺跡を見に行くと、僧侶が熱心に参拝していて、いい雰囲気。バラナシのこんな近くなのに、全く違う空気がある。

バナラシ床下浸水

 バスで駅まで戻り、腹が減ったので、何となく昨日昼飯をとった卵料理の屋台の前を通ると、昨日料理してくれた子供が私の事を覚えていてくれたらしく声をかけてきた。指を1本立てると、昨日のと同じ卵サンドを作ってくれた。うまかった。
 オートリキシャで市内まで戻ると、眼前の光景に目を疑った。街の様子が洪水で一変(写真)しているのだ。道が川になっている。どうやらあの激しい雨が原因らしい。昼間の道を思うと、この水の汚さは明らかである。しかし歩かねばならない。膝まである水の中を歩き、何とか宿にたどり着いた。宿の人は"Too much water!"と笑っていた。やはりインドとはすごい所だ。

1998/9/18(金) バラナシ→デリー

 宿をチェックアウト後、例のように迷路のような道を歩き、ガートに出、ガンジスを眺め、また歩いた。観光客があまり歩かない所では親切なインド人にたくさん出会う。ずっとインド人の営みを眺めていた。物売り、ガンジスに祈りを捧げるヒンズー教徒、体を洗う子供、洗濯をするおっちゃん、写真を撮ろうと言ってきた男の子とその家族(素敵な笑顔のお姉さんもいた)、そして川に浮く死体…。
 様々な想いを胸に道を歩く一方で、レストランに書いてある日本語の宣伝に思わず笑ってしまう。「とんかつあるよ!」「ミスチルがかかる!」等。自分が街に溶け込んでいく。聖地バラナシ、素晴らしい街だ

 たくさんの思い出ができたが今日でお別れ。粋な運ちゃんのリキシャで駅へ。そしてエアポートバスを手を上げて停めて空港へ。デリーへは1時間のフライトだったが、カジュラホとバラナシの事を考えていたらすぐに着いた。バスでニューデリー駅へ行き、メインバザールのHotel Star Palaceにチェックイン。ホテルを探している間、2人のインド人と喧嘩した。デリーで声をかけてくるインド人にはロクな奴がいない。メインバザールの店で搾りたてのジュースを飲み、水を買って部屋に戻った。



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