ホームエチオピアラリベラ

ラリベラ flag

2002/9/8(日) ハラレ→アジスアベバ→ラリベラ

 (ジンバブエから)エチオピアへのフライトは朝4:45発。深夜のハラレ空港は人気がなくなり、かなり寂しい。運良くエチオピア人と会ったので、エチオピアでの宿の話などをしながら一夜を過ごした。予定よりかなり早く離陸、機内ではほとんど寝ていた。
 朝9:00頃、首都アジスアベバに到着し、エチオピアに入国。エチオピアは黄熱病の汚染地域とされており、日本で予防接種をしてイエローカードを取得していたが、特に提示は求められなかった(エチオピア出国後タイに入国する時には要求されました)。15:00発のフライトまで、またまた空港で時間を潰した。寝たり、本を読んだり…。

ラリベラの町

 よく揺れる飛行機が、山間の何もない所へ着陸。さらに乗り合いのワゴンで30分ほど走って、ようやくラリベラの町(写真)に到着。町と表現してよいものだろうか…。田舎だなあというのが素直な感想。宿を見つけて少し散歩したが、何というかネパールの山に来たみたい。牧歌的な景色、現地人との会話…。明日からが楽しみだ。

P.S. 夕食は、宿でトマトスパゲッティ。エチオピアは一時的にイタリアに占領されたことがあり、イタ飯がポピュラーなのだが、マズかった…。あんなに楽しみに待ったのに。後日同じ宿に泊まった人に出会い、ここのスパゲッティの話で盛り上がった。

2002/9/9(月) ラリベラ

 朝9時前に宿を出ると、昨日散歩中に出会ったエチオピア人ガイドが待っていた。ガイドを雇う気はなかったので、昨日は相手にしなかったが、ここまでされると笑ってしまう。「happyじゃなかったら、お金は払わないよ」という約束で、1日50birr(約750円)でガイドを頼んだ。

教会内部
聖ギョルギス教会

 早速、世界遺産教会群へ。12世紀にエチオピアを統治していたラリベラ王の時代、24年もの歳月をかけてエルサレムを再現したという。本家イスラエルからの観光客にも会ったが、これが圧巻。「アフリカの"ペトラ"(ヨルダンにある遺跡)」とも呼ばれる11の教会は、全て一枚岩から彫りぬいて作られている!さらに、北側教会群、東側教会群、そして十字架の形で有名な聖ギョルギス教会(写真)の3グループごとに、教会はトンネルでつながっている!今でも信仰の地として生きており、教会には祭司がいて、祈りを捧げる地元の人と厳粛な雰囲気を作り出していた。キリスト教というと、政治と結びつき、少し偉そうに発展した宗教というイメージを個人的に持っているのだが、エチオピアでは全く別の進化をしているようだ。

お祭りの準備

 郊外にあるMachina Maryamという教会へも行った。1時間半の登山だったが、山々の景色は本当に美しいし、羊飼いはいるし、まるでアルプスの山にでも登っているよう。途中でガイドが別料金を要求してきたが、「happyじゃないから、金払わないよ」と言うとすぐに折れた。Machina Maryamに着くと観光客は私1人。祭司が教典などを見せてくれた上、昼食に誘ってくれた。夜のお祭りの準備におじゃま(写真)させてもらい、料理を見学したり、子供の相手をしたり、皆で写真をとったり…。写真を送ることを約束し、山を下りた。

子供たち

 町に戻ると、ガイドと一端別れた。1人で歩いてみたかったのだ。素朴な町並みはいい雰囲気だし、日常を営むエチオピア人から声をかけられるし、楽しい散歩だった。途中で出会った子供たち(写真)には写真を頼まれた。カメラを構えると一斉に寄ってくる無邪気な子供たち…。思わず笑顔になってしまう

 ガイドと合流して教会群の観光を終えた後、Tajと呼ばれる地酒を飲みに連れていってもらった。ハチミツから作ったお酒で、理科の実験で使うようなフラスコに注がれて出てきた。1杯3birr(約50円)。なかなかイケル。ガイドに宣伝用の紹介文を頼まれたので正直に書いていると、地元の人が集まってきて、いい雰囲気。このバー、民家と全く区別がつかないところが、またいい。
 ガイドは日が暮れるまで付き合ってくれた。学校に連れていってもらったり、明日のバスの予約を手伝ってもらったり。商売のニオイがちとキツイが、よい出会いだったのだと思う。今日1日でエチオピアの文化を満喫した。何だかずっと旅を続けたくなってきた



ページトップへ
リンクはフリーです。連絡頂けるとうれしいです。     Copyright (C) TORA All Rights Reserved.