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カイロ flag

1997/3/1(土) アスワン→カイロ

 サイットの車でアスワン空港へ。10:00発の飛行機だったが1時間近く出発が遅れ、カイロ空港で荷物を受取ったのは午後1:00を回っていた。バス停を探し、いろいろ助けてもらってタハリール広場を通るバスに乗りこみ、これまた助けてもらってタハリール広場で降りた。商売が関係ないとアラブ人もとても親切だ。

 客引きを振り切り、Happyton Hotelという宿にチェックイン。シャワー、エアコン(いらない!)付きシングルが41ポンド。きれいな部屋だし、まあこんなもんだろう。ナイルヒルトンに両替に行くと、日本人女性2人に出会い、情報交換をした。ピラミッドへはバスで行くのが安いらしい。彼女達は今夜ルクソールに発つとの事だった。
 帰り道コシャリ(米やマカロニ、豆にトマトソースをかけたもの)を買ってホテルで食べたが、なかなかうまい。洗濯もした。今日は移動日となったが、明日からカイロの街を歩いてみようと思う。

1997/3/2(日) カイロ

 朝カイロ→アテネのオリンピック航空のリコンファームを済ませた。今日で日本を出てから1週間になるが、もうエジプトを出る事を考え始めなければならなくなっている事に気付いた。過去を振り返るような余裕を与えてくれないのがエジプトという国だ。

 ピラミッドを見に行くつもりだったが、曇っていたので断念。考古学博物館へ。何といってもメインはツタンカーメンの墓からの出土品だ。他の博物館ならば1つあれば客を呼べるだけの展示物が、この博物館にはゴロゴロ転がしてある。さらに警備員は賄賂が欲しいのか、フラッシュ撮影をさかんにすすめてきた。
 腹が減ったのでシシカバブサンドを昨日と同じ店で注文すると、オヤジは私を見るなりニコニコしながら、"Japanese price, 5 ponds!"と言ってきた。"I paid only 1.25 ponds yesterday."と言うと、"O.K.! DOROBOU!!"と日本語でオヤジ。「あんただよ。」と言っておいた。こんな会話が妙にうれしい。

モスク
シタデルから見たカイロの街

 イスラミックカイロ地区にあるシタデルにも行った。美しいモスク(写真)があり、カイロの街が一望(写真)できた。帰り道、アスワンのスークのような混沌とした通りを1つ見つけた。子供2人組があいさつしてきたので、返事すると喜んでいた。

 ハーン・ハリーリと呼ばれる市場へ。途中親切なオヤジが道を教えてくれた。アラビア語しか解しないオヤジだったが、なぜかコミュニケーションがとれた。「まっすぐ行って右へ曲がれ。左側にある。」、その通りだった。この市場、確かに土産物屋が軒を連ねているが、期待していた程活気は感じなかった。自分自身の神経が麻痺したせいかとも思ったが、多分そうじゃない。食べ物を売っている店がないのだ。ニオイが違う。何も買わず、すぐ出てきてしまった。いろいろ声をかけられるが全く動じなくなっている。でも、どうも物足りない。アスワンの市場が自分には合っているようだ。
 焼きイモを食べたりしてプラプラしていると雨が降ってきた。カイロで雨に降られるとは思わなかった。コシャリとジュースを買ってホテルへ走って帰った。



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