ハラレ flag

2002/8/30(金) 成田→バンコク

 今回はバンコク発券というエチオピア航空のチケットを購入。エチオピアとジンバブエを同時に旅するというのは、なかなか難しい。バンコクまではユナイテッド航空を利用した。タイ北部を周るという日本人のおじさんと話しながら空港で夜を明かした。

2002/8/31(土) バンコク→アジスアベバ→ハラレ

 エチオピアの首都アジスアベバを経由し、成田から実に30時間かかってジンバブエの首都ハラレに到着した。ハラレ空港はきれいで、のんびりした空気が流れている。空港職員と話しながらリコンファームや両替を済ませ、タクシーに乗って宿まで。すぐに眠りについた。

2002/9/1(日) ハラレ

 シャワーを浴びて部屋で少しくつろいでから、ハラレ観光。アフリカン・スクエアへ。小さな噴水があり、花や民芸品の露店が出ていて、美しい公園なのだが、さかんに闇両替屋が声をかけてくる。後から考えても、このアフリカン・スクエアの両替屋の言うレートは異常だった。近くにいたジンバブエ人曰く、「この辺りの両替は気を付けた方がいい。ちゃんと確かめて交換するように」。旅行者からもいろいろな話を聞きました。気をつけた方が良いようです。
 ここでジンバブエでの外貨両替について簡単に紹介しておきたい。ジンバブエでは、公式レートと闇レートに10倍もの差がある。つまり、闇レートで両替し、ジンバブエドルでお金を払っていれば、米ドルの減りは10分の1で済む(あくまで仮定の話)。それにしても、国が考える価値と市場が考える価値とがここまで違うとは…。なかなか実感として理解できないですが、ジンバブエの経済がうまくいってないことは確かだと思います。

ショナの彫刻

 ジンバブエ国立ギャラリーへ行き、世界的に有名と言われるショナの彫刻(写真)とにらめっこ。その名の通り、ジンバブエの多数民族ショナ族による石を削っただけのシンプルな彫刻だ。と、日本人に声をかけられた。インドから1年かけてアフリカまで来たという青年で、一緒にハラレ近郊の町エプワースにあるバランシング・ロック(写真)を見に行くことにした。

バランシング・ロック

 簡単な昼食をとった後、ミニバスに乗ってエプワースへ。バス停から少し歩くと見えてきた。写真の通り、とにかく不思議な光景。大きな石がバランスよく積み上げてある。ちなみに、「ジンバブエ」とは「石の家」という意味だそうで、ここにある3枚岩はジンバブエ紙幣に印刷までされている。それにしても、誰が、何のために…。

エプワースの住人

 帰り道がまた楽しかった。道のすぐわきに村らしきものがあるのだが、子供がさかんにコミュニケーションをとってくる。手を振ると笑顔で手を振り返してくれ(写真)、挨拶をすると歓声が上がる。写真を撮っていいか尋ねると、側に来てくれてポーズまで。この程度のコミュニケーションなのだが、とても気持ちの良い時間だった。
 バスでムバレ・ムシカ・マーケットへも行ってみた。活気のある市場、バスターミナルがあり、とにかく人が多かった。

 夕食は宿でサザ&シチュー。サザとはトウモロコシの粉を練ったジンバブエの主食とも言える食べ物で、シチューと一緒に手で食べる。宿の人に気さくに話しかけられ、居心地がいい。今日1日で何人の人と挨拶を交わし、握手をしただろう。ブラックアフリカをいきなり肌で感じた、そんな1日。



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