ヒヴァ flag

2004/7/31(土) タシケント→ウルゲンチ→ヒヴァ

 朝5時に起き、空港へ。タシケント発7:00のフライトで約1時間半、砂漠地帯を一気に越え、ウルゲンチという小さな町までやってきた。旅行者にはヒヴァ観光の拠点として知られる。ヒヴァへはバスを拾うつもりだったが、タクシーの運ちゃんに声をかけられ、5USドルで連れて行ってもらうことに。道中話していて気付いたのだが、この運ちゃん、Lonely Planetに載ってる人だ。名をRahimov Bahadirという。英語を話すドライバーとして紹介されているのだが、新しいLonely Planetにも自分の名前があるのを見て安心していた。明日のブハラへの移動もお願いすることになる(60USドル)。
 ヒヴァは古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として栄えたオアシス都市。城壁に囲まれた旧市街イチャン・カラは今でもその景観が保存されており、町そのものが博物館とも言われ、世界遺産にも指定されている。ウルゲンチから日帰り観光も可能だが、私は初めから宿泊するつもりでいた。民宿のようなアルカンチ・ホテルにチェックイン。居心地良さそうだ。

アタ・ダルヴァザ門とカルタ・ミナル

 一端城壁の外に出て、アタ・ダルヴァザ門(写真)(西門)でチケットを購入。これで旧市街の建物のいくつかを観光できる。門をくぐって中に入ると、すぐに旧市街のシンボルとも言うべきカルタ・ミナルが見える。"カルタ"は"短い"という意味だが、決して小さなミナレット(尖塔)という訳ではない。未完成のミナレットなのだ。当時の統治者がペルシャとの戦いで死んでしまい、工事が中断されたらしい。未完成だから"カルタ"なのであって、青いタイルで彩られたミナレットはとても大きく、美しい。完成していたら、どんな姿になっていたのだろう…。

市場で

 そのまま歩くと、パルヴァン・ダルヴァザ門(東門)にたどり着く。この辺りは、かつて中央アジア随一の奴隷市場があった場所だが、今では普通の活気ある市場(写真)で、日用品、肉、魚、野菜、果物が売られており、ここが砂漠の町であることを忘れてしまうくらいだ。試食させてもらった小さな桃(?)がとても美味しかったので、少し買った。

 ジュマ・モスクへ。綿密な彫刻が施された212本もの木柱(アイワーン)が木製の天井を支え、明かりは天窓から差し込む光だけ。これまでに見たモスクとは全く作りが違う。何だか神秘的とも言える雰囲気が気に入り、しばし休憩。話しかけてきた子供と一緒に登ったミナレットからは旧市街が一望できた。外に出ると偶然新婚カップルに出くわした。ウズベキスタンには、結婚式後に新郎新婦が友達とお気に入りの場所を訪れる習慣があるらしい。

ヒヴァの夕暮
宿の昼食

 充実した宿の昼食(写真)をとり、休憩をはさみながら、イスラーム・フッジャ・メドレセ、タシュ・ハウリ宮殿、パフラヴァン・マフムド廟(中の装飾がとてもきれいでした)等を観光し、"古い宮殿"を意味するクフナ・アルクから夕暮れのヒヴァの町(写真)を眺めた。夕暮から翌朝にかけて、この町はぐっと静かになる。いい雰囲気。

 ヒヴァにはレストランがなく、食事は全て宿でとることに。イタリア人カップルが一緒に食べようと誘ってくれたおかげで、とても楽しい食事になった。彼らはウズベク料理に飽きていたようだったが、私には初めての料理が並ぶ。これがなかなか豪華。隣にいたフランス人のおじさんに話しかけ、テーブルにあったワインもゲット。4人で夜遅くまで旅やサッカーの話をサカナに飲んだ。昼間は独特の文化を楽しみ、夜は旅人との会話を楽しむ、旅の醍醐味だ!!!



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