宿で朝食を済ませ、両替しようとホテル・サマルカンドに足を運ぶ。外見は立派だが、中は何だか暗い雰囲気。ガイドブックには「郵便もこのホテルで」と書いてあったが、中に郵便局がある訳ではなく、手数料を払って投函の代行をお願いするというものだった。
グリ・アミール廟へ。タジク語で"支配者の墓"を意味し、ティムールはじめ、帝国を統治した帝王が眠る霊廟だ。外観も立派だが、廟内部もとても美しい。青を基調とした壁が金箔で覆われ、ドーム中央に墓石が並ぶ(写真)。真ん中の黒い石がティムールのもので、周りをティムールの教師ベルケ、息子のシャー・ルフ、孫のウルグ・ベク等々の墓石が囲んでいた。
しばらく見とれていると、管理人のおばちゃんが「地下の墓を見に行かないか」と声をかけてきた。地上の墓石は実は墓の位置を印したもので、実際の亡骸は地下の墓室に葬られているらしい。1000スムで見せてもらうことに。小さな墓室の中にも、全く同じ配置で石が並んでおり、コーランのような文字が書かれていた。おばちゃんは写真を薦めてきたが、お祈りだけにしておいた。この墓にはこんな伝承があるのだ。「何びともこの墓を開く者は我より恐ろしき者に打ち倒されるであろう」。1941年、旧ソ連の学者達によってこの墓が開けられた翌日、ヒトラーが独ソ不可侵条約を破り、ソ連に侵攻を開始したのである…。
地上の廟で中央アジアの歴史を読んだ後、昼食へ。プロフというピラフ料理をウズベク人と相席して食べたのだが、このウズベク人がしきりと話しかけてくる。言葉が通じないのを不思議がっていたが、周りの人が旅行者だと伝えてくれて納得したようだ。食後に一緒にお祈りをしようと言われたのは分かった。何だかすごく雰囲気のあるオッチャンだった…。
レジスタン広場(写真)へ。向かって右からシェルドル・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、ウルグベク・メドレセと3つの神学校に囲まれた美しい広場だ。サマルカンドは"青の都"、"イスラム世界の宝石"、"東方の真珠"などと呼ばれるが、その象徴ではないだろうか。ここサマルカンドは、文化交差路として世界遺産にも登録されている。
シェルドルとは"ライオンが描かれた"という意味で、このメドレセの入口アーチには、偶像崇拝を否定するイスラムの教義に背き、ライオン(虎に近い)(写真)が描かれている。支配者が権力を誇示するためだったそうだ。
一方、ティラカリは"金箔された"を意味する。ここの礼拝所は圧巻!!! 特に天井の美しさ(写真)はため息が出る程だ。そして、何より壮大な建物に刻まれた美しい幾何学模様、ティムールの色とも呼ばれる青。トゥルクメニスタンまで行くというアメリカ人旅行者と話しながら、ずっと眺めていた。
夕方になり涼しくなってきた頃合を見計らって、ビビハニム・モスク、バザール、そしてシャーヒズィンダ廟群(写真)へ向かった。ここは、今でも巡礼者が絶えないサマルカンド随一の聖地。細い道の両脇にモスクや廟が一直線に立ち並び、さながら死者の通り。あまり修復されていないため、ひなびた感じを受けるが、雰囲気がとてもいい。サマルカンドで気に入った場所の1つである。
夕食後、レジスタン広場へ。ショーがあると聞いていたからだ。開始直前、警備員らしき人が金を要求してきた。そこまで興味はなかったので少し離れた所から眺めていたが、いきなり日本語が流れてきた。ライトアップはされるが、幼稚なストーリーに興醒め。
宿に戻ってシャワーを浴びた後、何か飲み物をもらおうと宿の子供に尋ねると、ビールがあった。お母さんは、つまみにとスイカを切ってくれた。家庭的な雰囲気で本当に居心地がいい宿だ。