タヒチ発の深夜便は朝11時過ぎにイースター島着。予約しておいたホテルのピックアップのおじさんと合流し、ホテルへ。車中、タイに住んでいるというオーストラリア人が一緒だったのだが、彼はタヒチ、イースター島と周った後、サンチアゴに渡り、パタゴニアを目指すらしい。数年前に旅したパタゴニアが思い出される。
TUPA HOTELという名のホテルにチェックイン。シャワーを浴びてベッドに寝転がっていると、しばらくベッドで寝ていなかったためか、すぐに意識がなくなった。
まだ日が明るいうちに目が覚める。もう少し寝るという妻を残し、イースター島の中心地ハンガロア村を散歩。徒歩で十分一周できる広さで、レストランやみやげ物屋が軒を並べている。スーパーマーケットで水とカップケーキを買い、海辺でおやつを楽しんでいると、いつの間にか犬3匹に囲まれていた。とても人慣れしているようだ。
妻と合流して夕食へ。タロイモのマッシュポテト、貝のソテー、マグロステーキにビールの豪華な食事。なかなか出てこなかったが、味はうまい。早目にホテルに戻り、就寝。
5:30に目が覚める。外はまだ暗い。ここイースター島はチリ領で、当然ながらチリ本土の時間が適用されており、日が沈む時刻も日が昇る時刻も普通より遅い。すっかり腹が減った我々は、朝食がスタートする8:00になると同時にレストランに駆け込んだのでした。
散策へ。Kia-Koe Tourという現地ツアーのオフィスに情報をもらいにいくと、今日明日なら1日ツアーがあるという。天気がイマイチだが、最初に島の説明を聞き、土地勘がつくのはありがたい。その場で参加を決めた。我々以外には、チリ人の親子4人、チリ人カップル、中国人カップル、1人旅の欧米人というメンバー。出発直後は雨が激しくなってきてどうなるかと思ったが、終わってみれば天気にも恵まれ、英語も話すチリ人ガイドの説明を聞きながら島を半周、島に点在するモアイ像を見て周った。まずは簡単に紹介したい(ラパ・ヌイ国立公園として世界遺産にも登録されています)。
<アフ・アカハンガ>
アフというのは、モアイが乗っている台座(祭壇)のことで、島のモアイには大抵「アフ・〜」と名がついています。ここで我々は初めてモアイに出会うのですが、全て倒されていました。昔、部族間の争いがおきた際に、守り神のモアイを互いに倒しあったためで、現在立っているモアイは復元されたものです。又、ボートハウスと呼ばれるボート型の昔の住居跡(写真)が残っているのがここの特徴です。島にやってきた人々がボートを伏せて家の代わりにしたのが始まり、だとか。
<アフ・トンガリキ>
ここに整然と並ぶモアイ(写真)を見た時、思わずテンションが上がってしまいました。南米大陸からもタヒチからも4000km近く離れているこの絶海の孤島に、こんなユニークな巨石文明を作り上げたのはどんな人達だったのだろう…(ポリネシアからやってきたと言われています)。モアイに見つめられながら生活していた名残もあちこちに感じられ、この場所がすっかり気に入った我々はこの後も何度か足を運ぶことになります。
<ラノ・ララク山>
作りかけのモアイがニョキニョキ生えています(写真)。何でもモアイ製造工場だったとか。まだ岩から切り出される途中の寝ているモアイ、立っているモアイ、そしてなぜか正座しているモアイ…、様々なモアイを見ながら、近くの火口湖までちょっとしたハイキング。海辺のアフ・トンガリキまで見渡せ、とても気持ちのいい場所でした。
<アフ・テ・ピト・クラ>
光のヘソという意味だそうです。ここにもモアイがいますが、もう1つ、そのそばに明らかに人手が入ったと思われる形で球形の石(写真)が置かれていました。地球のへそと呼ばれ、磁気を帯びており、ガイドがかざした方位磁石が反応していました。これまた誰が何のために…。不思議な場所です。
<アナケナ・ビーチ>
ツアーの最後に訪れた白砂のビーチ(写真)。少し海に入ってくつろいでいると、ビーチに馬が走ってきて驚きました。近くにアフ・ナウナウというモアイがいるのですが、このモアイはプカオと呼ばれる帽子のようなものを頭にのせています。日焼け止めを塗らずに遊んでいた私は、ここの日差しですっかり痛いくらいに日焼けしてしまったのでした。
充実したツアーで、あっという間に時間が過ぎていきました。明日からは自分の足でこの島を周ってみたい。